き -KI-
郷土史を たどれば学校 山尾城
<城跡(山尾城・櫛形城など)>
十王中学校は、中世この地を支配した山尾小野崎氏の居城・山尾城の跡です。5つの曲輪からなり、校舎は1番上の曲輪に、グラウンドは堀切が鉤の手状で掘られていました。 友部宿は山尾城下に両端を鉤の手状に折り曲げられて形成され、その外側に北は法鷲院、南は光円寺、されにその外側には北に櫛形城、南に友部城の城郭が配置されます。これは友部宿が自然発生的村落とは成り立ちが異なり、城下町・宿場町・門前町の性格を持っていることを示していると考えられます。
十王中学校は、中世この地を支配した山尾小野崎氏の居城・山尾城の跡です。5つの曲輪からなり、校舎は1番上の曲輪に、グラウンドは堀切が鉤の手状で掘られていました。 友部宿は山尾城下に両端を鉤の手状に折り曲げられて形成され、その外側に北は法鷲院、南は光円寺、されにその外側には北に櫛形城、南に友部城の城郭が配置されます。これは友部宿が自然発生的村落とは成り立ちが異なり、城下町・宿場町・門前町の性格を持っていることを示していると考えられます。